≪28.01.04 (エッセー)今年こそは≫
今年こそは、と新年の抱負を考え始めると、どうしても残る人生の長さをまず念頭に置いたうえでないと考えられないと
思い知らされる。仮に九十歳まで生きるとして、残るは十八年である。決して長いこれからではない。だとすれば、
この十八年という一応与えられた残りの人生をいかにして長いものにするか、言い換えれば健康寿命をいかにして
長いものにするか、ということと、この十八年をいかに密度あるものとしたらいいか、を考えざるを得ない。
ありがたいことには健康寿命を長くすることと残された人生を密度あるものとして生きることとは密接な関係がある。
端的に言えば、毎日を密度ある生き方をすれば、即、健康寿命を長くするということである。
この指針を前提にしたうえで、さあ、この平成二十八年の今年こそは、どう生きればいいのだろうか。
健康寿命を長くするには最低限の医学的検証、すなわち健康診断類を行わなければいけない。私の場合は一昨年に
硬膜下血腫の手術歴があるから、脳のCT検査は不可欠だ。また逆流性食道炎の既往症もあるから胃カメラ検査も
そろそろ必要だろう。
毎日毎日を密度高く生きるには・・・・・。新しい経験、出会いに直面することだろうが、それを避けてはならない。
相手が男であろうと女であろうとを問わず、新しい人間関係の構築をためらってはいけない。
密度高く毎日を過ごすための極めて身近な対策は、日記を毎日毎日きちんと書く事であろう。一日一日をしっかり
振り返り見つめ直すことである。
昨年は一体何日、日記が書けたであろうか。日記帳をくくって確認したところわずか四〇日であった。
これには愕然とした。如何に余裕のない生き方をしていたのか。
さて、残された人生においてのライフワーク、すなわち死ぬまで続けるものに何があるか。私には、文章を書くということが
ある。今年こそは文章を書く時間を充分に持ちたい。文章を書くことに堪能になるには文章を沢山書くことが肝要だ。
絵が上手になるには絵を沢山かくことだ、とは年末のFMシアターでやっていたラジオドラマ「ガンディンスキー伝」の
一節だが、文章にも同じことが当てはまるだろう。
そういう意味でも日記を毎日書くということは重要だ。そのうえで、さしあたりエッセーを書く能力の一層の向上を期したい。
そしてできれば小説を書く事にも挑戦したい。
次に、職業として従事しそれなりの収入を得ている社会保険労務士の仕事をどうするか。先輩の中には、これを天職として
生涯現役を宣言している人もいる。私の場合、そこまでの決心は固まってはいない。しかし現実に社会保険労務士会の
業務委託を得て年金相談をすることと、独立自営業者として障害年金受給支援をすることを二本柱として相応の収入も得ている。
二本柱のうち、前者の仕事は年齢の関係であと三年しかできない。そのあとどうするか。それを明確にすることが今年の課題
である。
社会保険労務士としては、藤沢支部役員としての仕事もある。これは基本的にはボランティアだ。人々の役に立っている
実感があるが、一応任期はあと一年。そのあともう一期やるか。こちらは勧められたらやるというスタンスでいいであろう。
また社会福祉法人が経営するデイサービスセンターでのボランッティア活動「日本の詩歌を声に出して読む会」がある。
いよいよ八年目に入る。我ながらよく続いたものだと思う。今までに得たノウハウをもとに、株式会社の有料老人ホームを
舞台にして、少しスキームを変えることはできないか。その場合はボランティアではなく一定の手数料を頂くことになる。
このスキームの転回は可能か。
考えてみるとずいぶんたくさんの課題がある。果たしてやり遂げられるか。
やり遂げられるか否かを心配するのは後回しにしよう。漫然と毎日を過ごすことが許されるほど時間は与えられていない。
それにつけても「今年こそ」の一年の課題が明らかになったことを喜びたい。これらをやり遂げるために努力することこそ、
密度の濃い毎日毎日を送ることそのものだと思う。